今回の講師は衆議院議員の稲田朋美先生。弁護士として裁判を戦った記録を綴った『百人斬り裁判から南京へ』を出版した稲田先生に「日本 美しい国を目指して-伝統と創造-」をテーマに講演して頂きました。
百人斬り競争とは
百人斬り競争というは、南京大虐殺の象徴といわれています。
向井敏明少尉と野田毅少尉の二人の日本人将校の写真が等身大で盧溝橋の抗日記念館に展示されています。
中国の国語、社会の教科書でも残虐行為として教えられているのです。
戦後、南京軍事法廷で銃殺刑に処せられています。
たった3時間の審理で、一人の証人も、一人の被害者の遺族もいない中、南京大虐殺の実行犯として処刑されました。実際、当時は人違いなどのあり得ないような裁判で1000人くらいの人が軍事裁判にかけられ処刑されていたのです。
その後、昭和46年、本多勝一が『中国の旅』という記事を朝日新聞に連載しました。そこには考えられないような残虐行為が書かれていました。そこに、東京日日新聞に掲載されていた、百人斬り裁判の記事が載っていました。
しかし、真相はネタに困っている記者に、二人の将校が写真と名前を貸したものでした。
当時はそのような戦意を高揚する記事が多くありましたが、写真があったためリアリティーがあったのです。この虚構の記事が元で二人は処刑されてしまいます。
百人斬り訴訟
そして、ある裁判の傍聴席で出会ったのが、向井少尉のお嬢さん、向井千恵子さんでした。彼女は名刺には「百人斬りの虚報を正す 向井少尉の次女 向井千恵子」と書かれていました。彼女はたった一人でその当時戦っていました。初めて出会った時、衝撃を受けてなんとかしたいなと思いました。しかし、日本では生きている人の名誉毀損しか訴えることができません。
なので、遺族の名誉毀損ということで裁判を起こしました。遺族からは印紙代だけを用意してもらって、訴訟を提出しました。
裁判がいよいよ始まり、全国で2000人の支援もあり、支援金も送っていただき裁判を続けることができました。しかし地裁、高裁、最高裁と結果は敗訴したのです。中でも1審で負けたときはショックでした。何故なら勝てると思っていたからです。
1審の判決は2年前の8月23日でした。20日から選挙のために福井に帰り、23日だけ休みをもらい、東京まで判決を聞きに出てきました。150もの資料を提出しました。
百人斬りの記事の写真を撮ったカメラマン(91)にも証言者として法廷にも出てもらいました。こうした証言もあり、絶対勝てると思っていました。しかし敗訴しました。

1審で敗訴した理由は、「百人斬りの記事をそのまま真実ということはできないけれども、重要な部分は一見して明白に虚偽であるとまで認めるに足りないので、人格権侵害を認められない」というものでした。
高裁でもほとんど同じで、「重要な部分が全くの虚偽だと立証できていないので、人格権侵害を認められない」という判決です。皆さん覚えておいて欲しいのですが、なかったことを証明するのは、悪魔の証明と呼ばれるくらい難しいことです。しかし、高裁では百人斬りの記事自体は、甚だ疑わしく、到底信用することはできないと、裁判所は断定してくれました。これはすごく大きな成果だと思いました。
美しい国の政治家
確かに裁判では負けました。ただ高裁は百人斬りは虚偽であったとあらかた認めました。国家の名誉を守るのは、裁判所ではなく政治家の仕事なんだとその時思いました。
あの時は弁護士だったので他に方法がなく裁判を起こしました。しかし今は政治家です。
人生は偶然ではなく、必然であると考えています。偶然というのは意味のある偶然があると思います。今、私が政治家になっているというのは意味がある。
裁判には負けましたが、今戦いは始まったばかりであると思います。
参議院選挙で自民党は大敗しました。大敗した理由は、夢を語れなかったことだと思います。
美しい国という理念は決して間違っていないと思います。
そして、美しい国の政治家は美しく戦う政治家だと思っています。今後もぶれないで言いたいことを言って、頑張ってまいります。
>>稲田朋美先生のウェブサイト http://www.inada-tomomi.com/
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